現代日本において、下肢を切断する人はどのぐらい存在するでしょうか?
近年、高齢化や糖尿病患者の増加により切断者数はやや増加傾向にあるといわれています。しかしそれでも、人口10万人に対する年間の下肢切断者の発生率は2006年時点で1.6人。
これは、戦争中や戦後の時代と比べて驚くほど少ない発生率です。
手術だけではなく薬や放射線治療などを組み合わせる治療の実践により、切断範囲も少なくなってきています。
しかし、これほど切断者数の減少が見られるようになったのは、実は1970年代とごく最近からなのです。
義足が生まれてからの歴史のほとんど2000年以上はそうではありませんでした。
技術の発展や義足製作者たちによって少しずつ義足は進歩してきました。
世界最古の義足から最新の義足までの歩みを追いかけてみましょう。
※本コラムは全2回のうちの第1回となります。(第2回目はこちらからご確認ください)
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①義足の歴史【1/2】~世界最古から近代まで~(※本記事)
②義足の歴史【2/2】~日本製義足の芽生えからパワード義足まで~
目次
1.世界最古の義足
歴史上に義肢についての記述が初めて登場したのは、紀元前1500年~800年頃です。
インドの聖典(医学書)『リグ・ヴェーダ(リグーベダ)』に、義眼や義歯を表す記述とともに義足について記されています。
リグ・ヴェーダの義足についての記述(「Rig Veda: Rig-Veda Book1.HYMN CXVI. Aśvins.」)
※画像はGoogle翻訳で表示したもの。赤線は筆者による。
※原文は ”When in the time of night, in Khela’s battle, a leg was severed like a wild bird’s pinion, Straight ye gave Viśpalā a leg of iron that she might move what time the conflict opened.”
義足を扱う最古の絵としては、紀元前4世紀ごろの「イオニア人の花瓶」に描かれた棒のような下腿義足です。ルーブル博物館に所蔵されています。
紀元前8世紀~後15世紀のローマ時代のものとされる図柄がフランスのレスカール大寺院のモザイクにもありますが、同じく棒状の義足が描かれていることが読み取れます。
フランス レスカール大寺院のモザイク
(『身体障害者・老人をとりまく環境―QOLの向上を目指して―』)
現存する最古の義肢は、古代エジプトで紀元前950~710年の間に生存していたと考えられている高位僧侶の娘・タバケテンムット(Tabaketenmut)の右足の親指の義足です。
エジプト・ルクソール付近で発掘されたタバケテンムットの義足(マンチェスター大学)
木と皮で作られたこの義足は、ミイラの足に装着されていました。
タバケテンムット本来の親指は糖尿病のよる壊疽(えそ)で失ったと考えられています。しかし、古代エジプトではサンダルを履くため、足の親指にはとても重要な役割がありました。
この世界最古の義足は装飾用ではなく、歩行に耐えうる実用的な義足だということが実験により判明しています。(実際に、この義足には使用されすり減った痕が見られます。)
ちなみにエジプトの義足が発表される2011年までは、イタリア・カプア付近で発掘された古代ローマ時代(紀元前3世紀ごろ)の「カプアの棒義足」が最古と言われていました。これは、木と銅で作られた義足です。
カプアの棒義足のレプリカ(The Board of Trustees of the Science Museum)
カプアの棒義足は、ロンドン王立外科医大学に保管されていましたが第二次大戦中に空襲によりオリジナルが破壊されてしまいました。現在はロンドン科学博物館にレプリカが残っています。
紀元前2世紀ごろの古代中国トルファン(Turpun)でもポプラの木で作られた義足が使われていたことが、2010年に発見されています。
古代中国の義足(Live Science)
膝が変形した男性が着用していたと思われるもので、足先には補強のためか、馬の蹄が付けられていました。こちらも先端が摩耗していて、実用されていたことが分かります。
このように、紀元前には実用的な義足が各地で用いられていました。
世界最古の義手
ちなみに義手は義足よりも登場が遅れます。
最古の義手の記録は、紀元前218~前201に行われた古代ローマの第二次ポエニ戦争です。マーカス・セルギウス将軍は、戦場で右手前腕を失いましたが、鉄製のロック機構付きの義手を着けることで盾を持ちつづけ、長く戦人として活躍することができました。
第二次ポエニ戦争を描いた、Heinrich Leutemannによる19世紀の木版画(NIKKEI STYLE)
現存する最古の義手は、15世紀後半にブリキで作成されたフィレンツェにある義手です。
親指は動きませんが、人差し指から小指までは一体となっていて曲げ伸ばしすることができる機能性を持ち合わせています。
Florenzの義手(『義手の歴史的変遷と今後の展望』)
16世紀頃の人物、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンも義手で有名でした。
ゲーテの戯曲『鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』にて、1504年のランツフートの戦いで右手を失い、その後の戦争にも鉄製の義手で参戦したことが取り上げられています。こちらも、バネ式の指を曲げることができるため、槍や剣を握ることができます。
ゲッツの義手は、博物館となっているドイツ・ホルンベルク城に保存されています。
ゲッツの義手(MUSEUMCAREBADEN-WÜRTTEMBERG)
2.日本における義足の歴史
日本で初めて義足が登場したのはいつでしょうか?
日本では江戸時代(1603年~1868年)にオランダより初めて義足の図が輸入されましたが、実用はされませんでした。
日本で実際に義足を付けた人物として最古の記録は、立女形(たておやま)歌舞伎役者・澤村田之助(三代目・1845~1878)です。
田之助は、徳川末期における花麗で妖艶な名優として「常時この人の右に出る者無し」と高い評価を受けていました。
しかし19歳のころ、持病であった左足の脱疽により、舞台を途中で降板するほどの激痛を覚えます。
(ちなみに、原因は演目中の外傷のものと俗に言われていますがはっきりせず、細菌感染による動脈内膜炎の可能性もあったと言われています)
蘭学の名医や松本良順らの診察で切断するしかないという診断結果を受け、横浜市在住のアメリカ人医師ヘボンの指導のもと左下腿切断が行われました。ヘボンは、ヘボン式ローマ字を考案したことでも有名です。
左・松本良順(長崎大学付属図書館)
右・ヘボン(明治学院大学)
このとき田之助は「生来の利かぬ気に傲慢不遜の態度多く、交際の上にも舞台の上にも覇気溢れた」と言われる気の強さで、麻酔のクロロホルムを拒絶し生身で手術を受けたらしいとも言われています。
(実際にはクロロホルム麻酔が用いられており、それが明治維新前のただ一度の実験的試行であったという説もあります)
その後、生人形(いきにんぎょう)で知られる天才人形師の松本喜三郎に義足製作を依頼しますが、残念ながら傷口の回復にともなう断端の変化により、義足と健足が揃わなくなり使用できなくなってしまいました。
松本喜三郎が作成したほかの生人形 池之坊(大阪歴史博物館)
名人気質の松本は恥じて義足の代金を受け取らず、その後二度と義足を作製をすることはなかったといいます。
ただ、その装飾的な出来栄えに限って言えば、明治11年(1878年)の大阪日報で「なるほど田之助の足と相違はないが同人が用いる人造の足でありましたしかしよく出来ております」と称賛されるほど、よくできたものであったようです。
田之助は翌年の春にアメリカのセルフォー(セルホーフ)社製の義足が届くと、冬にはその義足を付けて舞台に出ていたようです。
ちなみに当時の義足の通常価格は75ドル~150ドルでしたが、アメリカから取り寄せた義足の代金は200両。現在の貨幣価値に換算すると数百万円~2,000万円といったものでした。
3.近代科学と義足の革命
紀元前の時代に実用的なものとして用いられていた義足ですが、中世のころは外科治療技術の遅れもあり、装飾的用途が強く、大きくて重い棒義足が主流となっていました。
16世紀になると「近代外科学の祖」と言われるフランスの外科医アンブロワーズ・パレ(1510-1590)によりヒンジ付きの義肢が作成されます。これが、義足史における大きな技術革命となりました。
左・パレ(Smithonian Institution Libraries)
右・パレの義足と小さいローラン(『義肢の進歩の歴史とこれから』)
それまでの棒義足は、膝継手(膝関節の変わりとなるパーツ)を持たないものが多く、立ち座りや歩行が困難でした。
パレの義足では、レバーを上方に引くと膝を曲げることが可能になります。立位になると固定状態になるため、義足で自然な立ち座りや歩行が可能になりました。
パレは「小さいローラン」と呼ばれる機械式義手や義眼も手掛けています。
19世紀にも義足史における進歩がありました。
1816年、イギリス・義肢工ジェームス・ポッツは、ワーテルローの戦いで脚を失ったアングルシー侯爵のために「アングルシー脚」を作成します。
左・ジェームズ・ポッツによるアングルシー脚(National Trust)
右・アングルシー脚と改良版アングルシー脚(『義肢の進歩の歴史とこれから』)
アングルシー脚は、人工の腱の役割をする紐を用いたからくり装置を備えています。これにより、歩くときに踏ん切りが出来る画期的な義足が生まれました。からくりが動く特有の音から「かたかた足」とも呼ばれるそうです。
(ちなみにこの「アングルシー脚」をアメリカで広く紹介したのは、イギリス人のウィリアム・セルフォーでした。セルフォーは、のちに澤村田之助が使ったとされるアメリカ製の義足を製作したセルフォー社※を創立します。)※セルホーフ社とも
1851年には、フィラデルフィアの医師ベンジャミン・F・パルマーによって改良されたアングルシー脚が、ロンドン水晶宮博覧会で名誉賞を受賞し、義足の分野で初めてアメリカの特許を取得しました。
パルマーの義足は、その後「アメリカ義足」として第一次世界大戦までアメリカ・イギリス・フランスで用いられることになります。
左・パルマーの義足(National Museum of American History)
右・パルマーの義足(Yale University)
パルマーの義足は日本でも受け入れられていました。
慶応3年(1867年)に刊行された「磁石霊震気療説」の巻末に「スタニールの官許廻国足」という名前でパルマーの義足の広告が掲載されています。
日本初といわれる義足の広告(日本医史学会)
4.近代戦と義足の需要の高まり
近代科学の芽生えにより、中世まで停滞していた義足の技術は少しずつ進歩しました。
ただし同時に、技術や進歩的な鉄砲や火薬による近代戦により、それまでとは比較にならない傷病者が生まれはじめます。
多くの傷病者によって、義足にはさらなる需要が生まれました。
アメリカ南北戦争(時事ドットコム)
近代戦の緒戦となった1861~1865年のアメリカ南北戦争では、約3万人の切断者が生まれました。
このとき南軍兵として重傷を負い、切断者となったジェームズ・ハンガーは独力で義足を作成し、Hanger.incを立ち上げました。Hanger.incは、今でも続く義肢製造の会社です。
左・ジェームズ・ハンガー(DailyMail)
右・Hanger.incのロゴ(Hanger.inc)
ハンガーにより義肢がこれまでより低価格で生産されるようになりました。アメリカ政府は数々の民間業者と契約し、切断者となった米兵に義足を支給しました。
日本では1872年、新橋~横浜間29kmで初めて鉄道が開通します。その後全国への広がりとともに、鉄道事故による公傷者が増加します。全産業災害による公傷者は毎年3万人以上、手足切断者は200~300人以上にのぼりました。
横浜を走る蒸気機関車の浮世絵(Library of Congress)
南北戦争と同時期である1877年の西南戦争でも100人あまりの切断者が生まれます。このとき、兵士たちへオランダ製の義足支給が行われたとも言われていますが、詳細は定かではありません。
この頃の有名な義足ユーザーといえば、のちに第8代・第17代の内閣総理大臣となった大隈重信です。
1889年、大隈重信(1838-1922)は、条約改正に反対する来島恒喜によって投げられた爆弾で右足を負傷し、切断することになってしまいます。
切断手術後には、すぐにアメリカのA.A.マークス社より義足が送られました。義足は改良を重ねられ、毎年大隈のもとに送られていたそうです。
大隈重信が使用した義足5本は早稲田大学に残されています。
左・大隈重信(首相官邸)
右・大隈重信が使用した義足(大隈重信記念館)
この頃、このようにアメリカやヨーロッパから輸入された義足が使われた例が見られました。
ただし、洋式の義足は結局足を折りたたむことができないために日本の畳文化になじまず、さらに高額であったことからも日本で広く普及することはありませんでした。
~第二回(義足の歴史【2/2】~日本製義足の芽生えからパワード義足まで~)に続く~
※参考文献(第一回・第二回共通)
『義肢の沿革』片山良亮
『鈴木祐一とその著書「義手足纂論」』武智秀夫
『風変りな人々』丸木砂土
『義足の歴史的変遷と今後の展望』月城慶一
『わが国の明治期における義足の発達ー三事例を中心にー』坪井良子、津曲裕次,1993
『身体障害者・老人をとりまく環境ーQOLの向上を目指してー』鈴木康三、万久里知美,2000
『義肢の進歩の歴史とこれから』田澤英二,2014
『義手の歴史的変遷と今後の展望』高橋功次,2011
『日清・日露戦争時の恩賜の義肢の研究ーリハビリテーション史の視点からー』坪井良子,1994
『傷痍軍人職業保護対策に整形外科医が果たした役割』上田早記子,2016
『義肢装具学テキスト 改訂第3版』細田多穂ほか
『切断と義肢 第2版』澤村誠志,2016
『調べよう!バリアフリーと福祉用具②義足・義手ほか「動く」を助ける』渡辺崇史,2019
「エジプトのミイラの足に人工親指、最古の「人工器官」発見」AFP BB News
The Board of Trustees of the Science Museum
「The History Of Prosthetics Explained」History Scope
「講座 わが国の義肢装具の歴史」武智秀夫,1993
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