現代日本において、下肢を切断する人はどのぐらい存在するでしょうか?

近年、高齢化や糖尿病患者の増加により切断者数はやや増加傾向にあるといわれています。しかしそれでも、人口10万人に対する年間の下肢切断者の発生率は2006年時点で1.6人。

これは、戦争中や戦後の時代と比べて驚くほど少ない発生率です。

手術だけではなく薬や放射線治療などを組み合わせる治療の実践により、切断範囲も少なくなってきています。

しかし、これほど切断者数の減少が見られるようになったのは、実は1970年代とごく最近からなのです。

義足が生まれてからの歴史のほとんど2000年以上はそうではありませんでした。

技術の発展や義足製作者たちによって少しずつ義足は進歩してきました。

世界最古の義足から最新の義足までの歩みを追いかけてみましょう。

※本コラムは全2回のうちの第2回となります。(第1回目はこちらからご確認ください)

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①義足の歴史【1/2】~世界最古から近代まで~

②義足の歴史【2/2】~日本製義足の芽生えからパワード義足まで~(※本記事)

目次

  1. 日本製義足の芽生え
  2. 第一次世界大戦と義足
  3. 第二次世界大戦前~戦後の義足
  4. 最近の義足
  5. まとめ

1.日本製義足の芽生え

アメリカやヨーロッパから輸入された義足は高額なため、広く普及することはありませんでしたが、輸入義足の使用が見られたのと同時期に、日本人が手掛けた義足が日本に広がってゆきます。

1893年、大阪の歯科技工師・奥村義松により日本初の義肢装具製作所「奥村済生館」が設立されました。

奥村済生館の製作者たちは日本全国に散らばり、日本製義肢の礎を築きました。

1902年になると切断者である鈴木祐一(1872-1921)により、日本最初の義肢に関する単行本『義手足纂論』(ぎしゅそくさんろん)が刊行されます。

鈴木祐一(日本医史学会

鈴木は右足の捻挫による化膿をきっかけに、右下腿を切断し義足となった人物でした。

最初うまく義足に適合出来ずにいたところ、浅草公園の見世物小屋で少年が、かかとに1尺(約30cm)の竹棒を結びつけ巧みに芸を行うのを見て「義足も習練を積めば歩行可能になる」と気づいたといいます。その後、義足装着訓練に没頭し、数ヶ月で習熟してしまいました。

鈴木は友人と、静岡~広島~東京~静岡と各地の陸軍予備病院の傷病兵を慰問を行ったり、2回も富士山を登るなど、大いに義足の可能性を追求し、当時の切断者を啓蒙しました。

日清戦争・日露戦争で恩賜の義足が支給

1894年~1895年の日清戦争では、戦地の劣悪な衛生環境により多くの戦傷者・戦病者が生まれます。

当時の皇后陛下より恩賜として捕虜9名を含む負傷兵169名に日本製の義手や義足が支給されたと言います。



上・日清戦争を描いた作品「黄海之戦我松島之水兵死臨問敵艦之存否」(アジア歴史資料センター

下二枚・恩賜と思われる義足(熊本総合医療リハビリテーション学院

1904~1905年の日露戦争でも、負傷兵に皇后陛下より恩賜の義肢の支給がされています。

『エーリッヒ・カウルの日記』(千葉県習志野市

ただし、日清・日露戦争合わせても恩賜の義足を実際に使用していたのは、大正十年の現況調査では2割以下にとどまっていたといいます。

理由は、義足の作りが家屋の構造や生活状況を考慮していないために実用に耐えられないことであったり、そもそも不適合であったりしたためです。

日常生活に生かされなかった義足は、床の間や神棚に飾られ、祀られていました。

このころ、ヤットコの原理(ラジオペンチのような鉄製の工具)を利用した能動義手として、乃木将軍が作らせた乃木式義手が有名です。

2.第一次世界大戦と義足

世界的な戦火の中、切断者と義肢は国際的な議題となってゆきます。

銃弾の高速化や地雷の普及により、1914年~1918年の第一次世界大戦において切断者は約30万人に達しました。


左・戦線に向かうアメリカ軍、右・応急処置を受ける兵士(The U.S. National Archives

需要拡大にともなって義肢製作の技術が大きく向上すると、義肢支給のための組織も相次いで設立されました。

・義肢適合センター(イギリス・ローハンプトン、1915)

・アメリカ義肢製作者協会(1917)

・義肢検定所(ドイツ・ベルリン、1915)

現在も義足メーカーの主流はヨーロッパにあります。

1921年のジュネーブでは、第一次世界大戦で切断者が多く出たオーストリア・フランス・ドイツ・イギリス・イタリア・ポーランドの代表が集まり義肢の開発や支給が国際レベルで検討されました。

1924年には、国際連盟の一機関であるILO(国際労働機関)が『義肢(Artificial Limbs)』というレポートを出版しています。

3.第二次世界大戦前~戦後の義足

1923年、関東大震災により日露戦争の数倍にあたる大被害がもたらされます。

この災害によって多くの国民が身体障害者となりました。

この頃より、装飾のためではなく、実生活に耐えうる機能性のある義足という方向性に本格的に舵を切ってゆきました。

さらに1937年の日中戦争、1939年の第二次世界大戦によって、日本も国際的な戦火の波にのまれてゆきます。

傷ついた軍人のための義肢製作や研究が進み、1939年、帝国議会で国立義肢研究所の設置が決定します。

この頃、日本では鉄脚と言われる作業用大腿義足が登場しました。

これは、アルミニウムのソケットに鉄の支柱、膝は固定で鉄板の足部を持つ義足です。当時の日本の水準では傑作でしたが、欧州では第一次世界大戦ごろの技術でした。

鉄脚で富士山を登る軍人(毎日新聞

1945年に第二次世界大戦が終戦すると、軍関係の研究・制作施設が消滅してしまいます。その後、新しい団体の設立や法整備、用語の統一や、標準規格化などを徐々に進められました。

1965年頃に「一般水準で欧米に40~50年の後進性があった」といわれていた状態から1980年頃には「遅れの大部分を取り戻した」と言われ、1989年の世界義肢装具士連盟の第6回大会では国際的に高い評価を得ることができたといいます。

4.最近の義足

1969年にドイツ・OttoBock社により、各部の互換性や調節製に優れた金属製の義足構造(骨格構造義足/モジュラー義足)が開発されてから、多くの義足パーツが工業製品として開発されるようになりました。


さまざまな義足(公益財団法人 鉄道弘済会にて)

現代において「義足の価値を決める重要な部分はソケットである」と言われていますが、こういった「義肢作成の基本」も歴史を見てみれば大変新しいものだったと分かります。

義足と断端をつなぐソケット

ライナー各種

現代では、義足を身体に合わせるのではなく、身体や環境に義足を合わせる考え方が中心的です。

そして、義足に求められるのは単に立ったり歩いたりする機能だけではありません。屋内外を歩行したり、自分らしさを追求したり、走ったり運動競技に参加することも視野にデザインされ始めました。


ヒールを履けるようにデザインされた義足

ゆっくり歩いても速く歩いても即座に対応できるようにマイクロコンピュータが歩行速度に合わせて下腿部の振り出しをコントロールするコンピュータを搭載した義足も登場しています。

様々なパーツを使用することで、健常者が行えるスポーツはほとんど季節や場所を問わずに義足ユーザーが行えるようにもなりました。

水泳用義足

たとえば、この水泳用の義足は、耐水性能が高められ、足首の角度が動かせるように作られています。

写真のようにつま先をまっすぐにすると泳ぐときの姿勢を取れますし、フィン(足ひれ)を着けることもできるので、スキューバダイビングや水中での作業を行うことができます。

自転車用義足や陸上用義足も生まれています。


左・ペダルと固定できる自転車用義足、右・反発力にすぐれる陸上用義足(日本パラリンピック委員会

エネルギー蓄積型足部の登場により義足は走りやすくなりました。

余暇・趣味としてのスポーツから競技スポーツ参加が進み、オリンピックに迫るパラリンピック陸上記録が生まれています。



エネルギー蓄積型足部

最近では、義足自体に動力があり、センサーなどによって、ユーザーの動きを助けてくれる機能を持つ「パワード義足(※1)」も生まれようとしています。

これまでの義足はシンプルなママチャリだとしたら、パワード義足は電動自転車のようなものです。

上り坂では、ママチャリは自分自身の強い力でペダルを踏まなければいけない一方、

電動自転車ならペダルが漕ぎやすいようにモーターが動いてくれます。

これまでユーザー自身の力で、足を振って動かす必要があった義足を超えて、パワード義足は義足自体が力を出し、ユーザーの負担を減らします。

※1・・・弊社独自の定義です。

5.まとめ

義足の歴史の2000年以上は「歩けるようにさえなればいい」というだけの器具であり、身体の欠損と外観の補填という役割しか持っていませんでした。

しかし、この100年ほどで、義足は大きく進歩し、機能性・快適性・さらには自分らしさや人と競うことまで追求できるようになりました。

切断者が「健常な人と同じように歩く」「自分らしい靴を履く」「義足で走る」「スポーツで世界と戦う」ことはもはや難しいことではなく、実現可能な時代になってきています。

※参考文献(第一回・第二回共通)

『義肢の沿革』片山良亮

『鈴木祐一とその著書「義手足纂論」』武智秀夫

『風変りな人々』丸木砂土

『義足の歴史的変遷と今後の展望』月城慶一

『わが国の明治期における義足の発達ー三事例を中心にー』坪井良子、津曲裕次,1993

『身体障害者・老人をとりまく環境ーQOLの向上を目指してー』鈴木康三、万久里知美,2000

『義肢の進歩の歴史とこれから』田澤英二,2014

『義手の歴史的変遷と今後の展望』高橋功次,2011

『日清・日露戦争時の恩賜の義肢の研究ーリハビリテーション史の視点からー』坪井良子,1994

『傷痍軍人職業保護対策に整形外科医が果たした役割』上田早記子,2016

『義肢装具学テキスト 改訂第3版』細田多穂ほか

『切断と義肢 第2版』澤村誠志,2016

『調べよう!バリアフリーと福祉用具②義足・義手ほか「動く」を助ける』渡辺崇史,2019

「エジプトのミイラの足に人工親指、最古の「人工器官」発見」AFP BB News

The Board of Trustees of the Science Museum

「The History Of Prosthetics Explained」History Scope

「講座 わが国の義肢装具の歴史」武智秀夫,1993

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